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スタッフブログ

417年目の伝統行事 946話

こんにちは、血気盛んという言葉が似合わない僕です。

そんな中、1年に1度血気盛んで屈強な漢どもが
一斉に川内へ集まる日を皆さんはご存知でしょうか?

始まりは 1600年頃 島津義弘 が
関ケ原の戦前に 兵士の士気を上げるために
行われたという1説のある
そうです、言わずと知れた 川内大綱引 です(´-ω-`)img_8607綱引きで使われる縄は実行委員の方々を中心におよそ1500人で
330本の縄を使い 半日かけてimg_8608 img_8610立山・寄山という器具を使い
長さ365m・重さ7tの1本の綱を作り上げていきます( ゚Д゚)
物凄い作業なんですね(゚Д゚)ノ

その綱を屈強な漢どもが上方・下方に別れ勝敗を争うわけなんです(´-ω-`)

僕は バスケでも接触プレイを苦手とし
より 人に触れないように・・・・より クリーンなプレイをすることをモットーとして
過ごしてきました・・・・・。

そんな僕が・・・・・img_8143何故か・・・大綱引き 下方 本部開きに参加しまったのです(;´Д`)
川内で過ごし生きてきた僕としては
上にも下にも知り合いが大勢いるので
どっちつかずなため
出場を頑なに拒否し続けていたんです|д゚)
(それこそ毎年9月中旬前後は身を潜める期間だったのです)

そんな僕が・・・・屈強な漢どもの中に ひ弱な僕が・・・・

それでも・・・・それでも・・・・・
どうしても出場するに至った理由があったのです(´-ω-`)
img_8612そう、写真中央の下方 押大将のS先輩とは普段とても仲良くさせてもらってる先輩なのです(´-ω-`)
押大将を全面サポートするF先輩も幼少の頃より大変お世話になった先輩なので
意を決して(逃げられず) 今回(同級生を巻き添えに) 参加することを決意したのです。
(この本部開きでF先輩が大勢の前で決意表明を僕にさせた時は大いに恨みました)
奇跡的に下方の太鼓隊の中に
仲の良い同級生も居たりと
普段しょっちゅう顔合わせてるのに・・・
仲間を見つけると
いつも以上に頼もしく感じてきます(;´∀`)
(※写真中央1番奥が10番太鼓の友人Nくん※)img_8611ニッカと白足袋を購入し
さらしを職人さんからもらい 気持ちとは裏腹に出撃準備が整います(´-ω-`)

 

そして大綱引き当日・・・・
5:30集合という呼び出しに
6:10頃集合する僕|д゚)
参列は出来ませんでしたが
末席にてお祈りはしておきました(;´∀`)
img_8362祈願が終わると
いかつい先輩にキッツキツにさらしを巻かれ・・・(;´Д`)
似合わないと笑われたニッカを穿き 白足袋を履き・・・・img_8568当日貰った鉢巻をおでこに巻いて 出来上がったのが・・・・これ(;´Д`)img_8366弱そっ(;´Д`)

 

 

川内大綱引きは

①太鼓隊・・・太鼓の音で攻撃を指揮する部隊

②引き隊・・・綱を引く部隊

③押し隊・・・相手陣内に押し込み妨害する隊

④ワサ係り・ワサ払い・・・不利な時にワサを引っ掻ける部隊

上記4部隊で形成されるのですが
僕は押大将のサポートなので③の押し隊に編成されます(;´Д`)
そう、もっとも前線で最も漢どもの中に埋もれる部隊です(-_-;)

勝負が始まると 前線はもう何が何やら
どっちが優勢なのか
どこにいるのか
いったい何を僕はしているのか
わかりませんでした(;´∀`)

何度も同じ會の仲間とはぐれ迷子になりましたが
倒れると敵味方関係なく起こしてくれて
何度も危ない所を助けていただきました(;´・ω・)

會が違っても
仲の良い方々がたくさんいたので
綱を越えて東に西に
色んな人と楽しむ事が出来ました(´▽`)

残念ながら
今年は下方は最後の最後で逆転されましたが
先輩方のおかげで
大綱引きの面白さに充分触れる事が出来ました。

初めは楽しんでいたのですが
道中 疲れ果てまくっていた僕を
太鼓隊の友人が励ましてくれたり
迷子の僕を見つけ
囲んでくれた大工さん達に守られたり
どんどん綱引きにのめり込んでいき
終盤ムキになって押していた僕がいました|д゚)
本当に最後逆転されたのは悔しかったです。

来年はもっと屈強な仲間を引き連れ
會を立ち上げて参加しようと思います(*´Д`)

まぁ でも途中で
スルスルスルッと通り抜けちゃって
敵陣内にて上方の漢ともに囲まれた時は焦りました(;´・ω・)

 

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